新田次郎「聖職の碑」
講談社文庫
2011年6月 第1刷発行
2018年1月 第9刷発行
解説・清原康正
355頁
巻末収録「取材記・筆を執るまで」
大正2年(1913年)8月26日、長野県上伊那郡の中箕輪尋常高等小学校の駒ケ岳修学旅行登山の一行37名が暴風雨に見舞われ、教師や生徒ら11名の死者が出た遭難事件の全体像を描き出します
序文
誰かは明らかにされていませんがおそらく新田さん本人と思われる一人の男性が駒ケ岳登山の折り、大きな四角い岩「遭難記念碑」の前に立ち一般的には遭難慰霊碑とするのが当たり前なのになぜ、遭難記念碑としたのか疑問に思います
この遭難の陰にはいったい何があったのであろうか…
第一章「遠い山」
第二章「死の山」
第三章「その後の山」
取材記からは新田さんのこの作品にかける熱意や執念が伝わってきます
駒ケ岳遭難事件の背景にあったものをじっくりと抉り出し、そこに人間関係の柵や社会の不条理な枠組みを浮かび上がらせ、単なる遭難記には終わらせていません
ここに描かれた極限状態にもかかわらず26名の生存者がいたことにも驚かされました
「八甲田山死の彷徨」と並ぶ優れた遭難ものです
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